2015年第1頭 謹賀新年
昨年は、還暦の年だった。3月に北京、広州で風水修行を始めたのだが、その疲れからか、4月1日に自宅を出た際、足をもつらせ顔面から転倒。顔が1か月ほど腫れてしまった。中国の山々を歩いたので足に疲労が蓄積してしまったらしい。60歳の誕生日の5月17日に還暦の会を教え子たちに開いてもらってとても嬉しく、はしゃいでしまった。このブログを作ったのはそれがきっかけだった。でも、8月の初めから目の調子が悪く病院に行くと網膜剥離だと告げられて、即座に入院、手術。そして、このブログは一回でとん挫した。好事魔が多し。
まだ、左目は半分くらいの機能しか回復していないものの、4か月たった現在、なんとか使えるようになってはいる。一時、網膜剥離の原因は逆立ちだったかと悲観したものの、やや気持ちにゆとりができ、逆立ちも続けることにした。昨年の元旦に宣言した、ほぼ一日一頭は到底無理だったが、大みそかには172頭まで到達した。
さて、2015年、ひつじ年。第1頭は、東京国立博物館の前庭にある二匹の羊の間でおこなった。朝鮮朝の18-19世紀の羊像だそうで、おそらく陵墓の前に立っていたものであろう。地球研メガ都市プロジェクトの最終成果で出版予定の本の編集で多忙の半日を割いて訪れた。雨が降っていたのだが、奇跡的に一瞬だけ太陽が顔をだし、その瞬間を狙って同行してくれた田口純子さんが撮影してくれた。それを年賀状にしている。
2015年、60歳。6年間いた京都、地球研から東大へもどる年。これまでのことをまとめると同時に、新たなことが始まるややうきうきした予感がする。でも気を引き締めて、一日一日は大切に過ごしていこうと思う。
謹賀新年2015年。
還暦逆立ち日記
2015年1月2日金曜日
2014年7月20日日曜日
還暦は逆立ちである!
去る2014年5月17日、還暦の会を開いてもらった。その際の挨拶「還暦は逆立ちである!」から、このブログを始めたいと思う。
本日は、お忙しいながら、大勢の方にお集まりいただき、感激に堪えません。さて、この私の還暦の会に際しまして、わたくしに初めと、終わりに、挨拶をしろ、との司会者から命令が下されましたので、祝われる者として僭越ではありますが、まず、還暦の挨拶(1)をさせていただきます。
テーマは、「還暦は逆立ちである!」というものです。
日本を含む東アジアでは、四季は循環しますが、しかし、人生は一方通行です。ですから、この四季が存在する東アジアでは、いつの時期からか、人生も季節に倣って循環するようにしつらえられて、還暦という行事が生まれたわけです。そして、四季による循環では一年を振り返り、自然との関係を深めていくことを私たちは習得してきました。であれば還暦は、人生を深く見つめ、自分とは何か、生きるとは何か、考える契機となるはずです。
実は、逆立ちも、空間的に身体を転倒させ、また、もとの立ち位置に戻ることによって、滞った気や血の循環を促進させるという行為です。六〇年に一回めぐる循環が還暦であり、一年を周期とする循環が四季であるならば、数日おきに血をめぐらせる二、三分の逆立ちは、数日とも、二、三分ともいえる短い周期の循環であると言えるわけです。つまり、還暦は逆立ちである!この命題は、還暦に相応しい、久しぶりに私がなした大発見のひとつです。
自分の記録によれば、撮影された最初の逆立ちは、二〇〇七年三月二十八日、北京のアーチスト艾未未(アイウェイウェイ)氏の自宅の壁に向かってでありました。まだ、この時期、頭ではなく両手を使い、しかも自立できないので、壁に寄りかかっております。それがこの中国でも稀有なアーチストへのオマージュであったか、技芸を逸脱したパフォーマンスへの揶揄であったかは、その時は意識してはいませんでした。いつか、二人で逆立ちしながらそのあたりのことを対談してみたいとも考えております。
記録に残る最初の頭立ちは、二〇一〇年四月二十九日、ほぼ、四年前、京都の賀茂川の土手においてでありました。以来、私的にはヨガをする際にほぼ毎日、写真撮影が入る公的な場面では、三〇〇頭を超える頭立ちをしてまいりました。本来ですと、本日、この還暦の好き日に、逆立ちの本を刊行したかったのですが、若い人たちから東大退任時に本格的に逆立ちの本を出しやるから、もう少し待て、とやんわりとでもきっぱりと止められましたので、それまでは、逆立ち史と逆立ち論は熟成させて取っておくことにしたいと考えております。
次の還暦、大還暦と言うらしいのですが、さすがにそれまでは到底生きていようもありませんから、せいぜい、逆立ちをくりかえし、日々小さな循環を心掛け、少しずつ人生の持っている一方通行の摂理に則って、少しずつフェイドアウトしたく考えております。しかし、退任時の六十五歳までには、累計一〇〇〇頭を超えるその逆立ちがどのように人生を豊かにしていくのかも、楽しみでもあります。その楽しみを享受することを60歳の還暦に感得できたことも、還暦は逆立ちである!というテーゼに、さらにもうひとつの新たな意義を付け加えたわけであります。
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