去る2014年5月17日、還暦の会を開いてもらった。その際の挨拶「還暦は逆立ちである!」から、このブログを始めたいと思う。
本日は、お忙しいながら、大勢の方にお集まりいただき、感激に堪えません。さて、この私の還暦の会に際しまして、わたくしに初めと、終わりに、挨拶をしろ、との司会者から命令が下されましたので、祝われる者として僭越ではありますが、まず、還暦の挨拶(1)をさせていただきます。
テーマは、「還暦は逆立ちである!」というものです。
日本を含む東アジアでは、四季は循環しますが、しかし、人生は一方通行です。ですから、この四季が存在する東アジアでは、いつの時期からか、人生も季節に倣って循環するようにしつらえられて、還暦という行事が生まれたわけです。そして、四季による循環では一年を振り返り、自然との関係を深めていくことを私たちは習得してきました。であれば還暦は、人生を深く見つめ、自分とは何か、生きるとは何か、考える契機となるはずです。
実は、逆立ちも、空間的に身体を転倒させ、また、もとの立ち位置に戻ることによって、滞った気や血の循環を促進させるという行為です。六〇年に一回めぐる循環が還暦であり、一年を周期とする循環が四季であるならば、数日おきに血をめぐらせる二、三分の逆立ちは、数日とも、二、三分ともいえる短い周期の循環であると言えるわけです。つまり、還暦は逆立ちである!この命題は、還暦に相応しい、久しぶりに私がなした大発見のひとつです。
自分の記録によれば、撮影された最初の逆立ちは、二〇〇七年三月二十八日、北京のアーチスト艾未未(アイウェイウェイ)氏の自宅の壁に向かってでありました。まだ、この時期、頭ではなく両手を使い、しかも自立できないので、壁に寄りかかっております。それがこの中国でも稀有なアーチストへのオマージュであったか、技芸を逸脱したパフォーマンスへの揶揄であったかは、その時は意識してはいませんでした。いつか、二人で逆立ちしながらそのあたりのことを対談してみたいとも考えております。
記録に残る最初の頭立ちは、二〇一〇年四月二十九日、ほぼ、四年前、京都の賀茂川の土手においてでありました。以来、私的にはヨガをする際にほぼ毎日、写真撮影が入る公的な場面では、三〇〇頭を超える頭立ちをしてまいりました。本来ですと、本日、この還暦の好き日に、逆立ちの本を刊行したかったのですが、若い人たちから東大退任時に本格的に逆立ちの本を出しやるから、もう少し待て、とやんわりとでもきっぱりと止められましたので、それまでは、逆立ち史と逆立ち論は熟成させて取っておくことにしたいと考えております。
次の還暦、大還暦と言うらしいのですが、さすがにそれまでは到底生きていようもありませんから、せいぜい、逆立ちをくりかえし、日々小さな循環を心掛け、少しずつ人生の持っている一方通行の摂理に則って、少しずつフェイドアウトしたく考えております。しかし、退任時の六十五歳までには、累計一〇〇〇頭を超えるその逆立ちがどのように人生を豊かにしていくのかも、楽しみでもあります。その楽しみを享受することを60歳の還暦に感得できたことも、還暦は逆立ちである!というテーゼに、さらにもうひとつの新たな意義を付け加えたわけであります。
